浅野祥雲のコンクリート像(五色園)

浅野祥雲のコンクリート塑像(五色園)

#浅野祥雲 氏の塑像に魅せられた一人です。これまでの散策で写真に残した塑像を掲載しています。当サイトは宗教法人「#五色園」様とは関係ございません。また特定の宗教・思想に関するものではなく、塑像作品を紹介する内容です

目次

世代を超えて受け継がれた
記憶を刺激する塑像群

愛知県日進市にある「五色園(ごしきえん)=浄土真宗の寺院」の広大な敷地に、コンクリート塑像作家「浅野祥雲=あさの しょううん」氏の素晴らしい作品が数多く分立しています。

浅野祥雲の塑像(一覧)

塑像は園内の広い範囲に分立しています。各塑像ごとの距離は大きく離れておらず、事前にルートを知っておくことで、数時間ですべてを巡ることが可能です(※)。しかし分かりにくい場所、たいへん険しい道を通る場所も少なくありません。自然の中に塑像が建てられており訪れる季節によっては、ハチやヘビなどとの遭遇が心配なところもあります。各ページには、塑像の写真や伝承だけでなく、見学時の注意点や設置場所までのルートを分かりやすく掲載しています。
※秋から冬の期間にすべてを巡った場合は、おおむね3時間程度です。(見学時間や歩き方でかわります)
月見の宴 信行両座 赤山明神貴婦人解逅
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身代わりの名号 縁結び弁財天女 川越の名号
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不動明王尊 御田植 桜ケ池大蛇入定の由来
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御流罪 親子悲願仏 鈴虫松虫の剃髪得度
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肉付の面 日野左衛門門前石枕 五劫思惟仏
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六角堂ご参篭雲母坂お通い 板敷山弁円狙撃 弁円悔悟
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六角堂(百夜祈願) 箱根権現御饗応 日吉丸矢作橋出世の糸口
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夜盗耳四郎聞法の場
夜盗耳四郎聞法の場
  • 暑い季節の散策は熱中症にお気をつけください。
  • 秋から春は散策がしやすいものの、園内は林が多く早くに薄暗くなります。(晴れた日でも10月を過ぎると午後4時には塑像付近は薄暗い)

親鸞聖人と時代の伝承

塑像の多くは人の目線より少し高いところから、語り掛けるようなお姿です。多くの寺院に祀られている厳かな仏像と違い、誰もがいつの日か聞いた昔話から想像したことのある人物、歴史絵巻に描かれているような既視感に近い情景を感じます。 塑像は浄土真宗の宗祖である「親鸞=しんらん」聖人の伝承を中心に、その生涯や教え同じ時代を生きた衆生の物語であり、幾世代を超えて受け継いできたであろう、心の隅に刻まれた風景や潜在的な記憶が刺激されます。

親鸞聖人について[超簡単な説明]

親鸞(しんらん)聖人(1173年-1262年)は、鎌倉時代前半から中期にかけての日本の仏教家(※)で「浄土真宗」の宗祖とされています。9歳で出家し比叡山(天台宗の総本山)で修行され、29歳で比叡山と決別してから、のちに師と仰ぐ法然(ほうねん)上人(1133年-1212年)に出逢います。法然上人は「浄土宗」の宗祖の一人とされています。上人と出逢うまでの苦難は「六角堂百夜祈願」などで知ることが出来ます。※「非僧非俗」で僧でもなく俗人でもない、またその反対という解釈もあるようです。 親鸞聖人は平安末期に生まれ、伝承の多くは鎌倉時代です。浅野祥雲氏は明治24年のお生まれで、「五色園」の開山は昭和9年ということです。 日本の時代区分

五色園(五色山大安寺)

浄土真宗の寺院(単立の宗教法人)で、公開情報によると1934年(昭和9年)に森夢幻師(初代管主)により開山されています。2025年で91年です。日本で唯一の宗教公園で広大な敷地(※)に、ほとんど手つかずの自然が多く残されています。春には美しい桜、秋には鮮やかな紅葉が見られます。

  • 作法等は東本願寺の形式を継承するものの東西には関係ないということです。
  • 森夢幻師(1866年-1962年)は愛知県葉栗郡浅井(現在の一宮市浅井)出身の教育者、仏教伝道師で、多くの信奉者からは「昭和の親鸞」と尊敬されているそうです。

風が揺らす木々の音、小鳥のさえずりを聞きながらの散策は実に爽快です。市街地に近い場所にある公園でたいへん貴重だと思います。「五色園」の名も松竹梅、桜、紅葉の五種の樹木の彩りが由来になっているそうです。

※約20万坪ということで、熱田神宮(約6万坪)と比べると3倍以上です。

秋から春の風景は素晴らし

五色園は年間を通して開園されていますが、特に晩秋から早春は散策しやすく、季節に彩られた美しい風景を見ることができます。

五色園の自然

10月下旬ごろから園内のいたるところで、ドングリなど木の実が落ちる音、秋風になびくススキの群れ、晩秋から初冬の晴れた日は、冷たい風が心地よく感じるくらいです。浅野祥雲氏の塑像だけでなく、風景そのものに懐かしさや既視感を感じるローケーションが多くあります。

浅野祥雲氏

「浅野祥雲=あさのしょううん」(1891年 – 1978年)は、岐阜県中津川市出身のコンクリート像作家です。経歴等についてはwikipediaに掲載されています。五色園のある日進市の資料によると、園内の塑像制作は1930年(昭和5年)ごろから始まり、10年がかりで多くの作品を残されたということです。また「五色園」だけでなく、犬山市の「桃太郎神社」など東海地域を中心に多くの塑像作品を残されています。

近年における浅野祥雲の評価など[表示]

下記は生成AI(Gemini Deep Research )による、浅野祥雲氏についてのレポート結果を要約したものです。

浅野祥雲は、日本の近代美術史において、その存在が長らく「幻」とされながらも、膨大な数のコンクリート像を独学で生み出し続けた稀有な造形家である。

作品群の視覚的特徴は・・

  • デカい
  • たくさん
  • カラフル
  • ダイナミック
  • リアル
  • ユーモラス

などを感じる方が多いようです。

また宗教的教義の伝達、歴史の再現、民話の具現化、そして慰霊といった多岐にわたる公共的・社会的目的を果たすことを可能にし、五色園、桃太郎神社、関ヶ原ウォーランドといった「祥雲三大聖地」に代表される、没入型の物語空間を創出する基盤になっています。

かつては「B級スポット」として一部の愛好家に親しまれるに留まっていた彼の作品は、フリーライター大竹敏之氏による長年の献身的な研究と、テレビ番組での紹介を契機に、その芸術的価値が注目され、「アウトサイダーアート」として美術史における独自の地位を確立しつつあり、再評価するは従来の美術概念にとらわれず、地域性や独自性を持つ表現を新たな価値として現代社会の文化的な潮流を反映している。

現在進行中の「浅野祥雲作品再生プロジェクト」は、彼の作品が直面する物理的な劣化という課題に対し、地域住民やボランティアが主体となって取り組む、画期的な文化遺産保存のモデルを示している。この活動は、作品の物理的な保全に留まらず、地域コミュニティの再活性化と、埋もれていた民俗文化の再認識を促す重要な役割を担っている。浅野祥雲の遺産は、単なる彫刻作品の集合体ではない。それは、独学の芸術家が自身の内なる衝動と社会の要請に応えながら、工業素材を用いて民衆に語りかける独自の芸術言語を確立した証である。

「五色園」以外のおもな塑像

「桃太郎神社」と「関ヶ原ウォーランド」は、「五色園」とともに三大聖地と言われているようです。ほかに人物像としては龍泉寺(名古屋市守山区)の境内に立像があります。

交通機関で訪れる場合

交通機関を利用される場合は、名古屋市営地下鉄「東山線・星が丘駅」から、名鉄バスで「五色園行き」に乗車し、終点で下車してスグの場所です。名鉄バスの運賃は片道540円(2025年4月現在)で、所要時間は30分~40分程度です。「五色園行き」は終点までのルートが2つありますが、いずれの便に乗車しても同じです。土日祝日の便数は少なく、1時間に1本の時間帯もあります。お帰りの時刻表(バス停は道路反対側)を確認したうえでの散策をおすすめします。

  • 開門時間は8時~17時
  • 年間を通して散策できます。
  • 入場は無料
  • 車で行かれる場合は無料駐車場があります。
Googleマップ[表示]

所在地は 愛知県日進市岩藤町一ノ廻間932番地31

園内の塑像設置(目安)

五色園内の案内図

五色園の塑像場所マップ

テーマパークのカテゴリと思いますが、レジャーを目的とした公共の公園ではなく、休憩場所などはないようです。一般参拝者用のトイレは本堂近くに1か所のみです。(飲料水の自販機も同じ)暑い季節に散策する場合は、熱中症対策が必要です。平日はたいへん静かな場所です。また宗教施設であり霊園もあるため配慮が必要かと思います。公園利用の注意事項などは、公式サイトをご参照ください。

#浅野祥雲 #五色園 #日進市

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