泉増院と西方院(名古屋市南区の笠寺観音近く)

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泉増院と西方院

「笠寺観音」の近くには「泉増院=せんぞういん」と「西方院=さいほういん」の2つの寺院があります。いずれの宗派も「笠寺観音」と同じ真言宗(智山派)です。

[目次]

泉増院

玉照姫を祀る寺院

泉増院

「笠寺観音」の山門(南側で池のあるところ)を出て右に見える寺院です。「笠寺観音」創建の由来になっている「玉照姫=たまてるひめ」様を祀っています。ご本尊は「大日如来」ということです。創建年など詳細は分かりませんが、「笠寺観音」の分院的な位置づけかもしれないですね。

境内の写真

十二支守り尊
▲石段の先には十二支守り尊が祀られていました。

玉照姫を祀るお堂 玉照姫

▲正面の御堂には玉照姫様が祀られています。玉照姫様は「笠寺観音」の創建と歴史に登場する女性で、縁結びのご利益があるとされています。観音様と玉照姫の物語として伝承されています。(写真は拡大表示)

笠寺観音に伝わる内容です。

ここに一人の娘がいた。彼女は鳴海長者・太郎成高の家に仕えており、その器量を妬まれてか、雨の日も風の日も、ひどくこき使われる日々を送っていた。ある雨の日、雨露に濡れる観音様の姿を見て気の毒に感じ、自分がかぶっていた笠をとり、観音様にかぶせたのであった。その縁か後日、関白・藤原基経(もとつね)公の息子、中将 兼平(かねひら)公が下向のおり、長者の家に泊まった際にその娘をみそめ、自分の妻に迎えようと決心した。苦境を救われ兼平公の妻となった彼女は「玉照姫=たまてるひめ」と呼ばれることとなった。この観音様によって結ばれた玉照姫・兼平公ご夫妻は、延長8年(930)、この地に大いなる寺を建て観音様を奉安し、寺号を小松寺から「笠覆寺=りゅうふくじ」に改めた。この寺号が「笠寺=かさでら」の名の由来である。
以来、現在に至るまで「笠覆寺」は「笠寺観音」の通称で親しまれ、厄除けや縁結びの観音様として、多くの人々の信仰を集めることとなる。

本殿

本殿(大日如来)
▲本殿には「大日如来」が祀られているということです。

西方院

西方院(さいほういん)は「不動明王」と「烏瑟沙摩明王=うすさまみょうおう」を祀る寺院。「烏瑟沙摩明王」は”不浄を転じて清浄となす働きを持つ”とされ、トイレの仏様されるそうです。名古屋市内では数少ない寺院です。この2尊の明王を「笠寺明王」として、多くの方の信仰を集めているということです。

境内の写真

弘法大師
▲寺院の入り口を入ると観音菩薩と弘法大師(空海)の石像があります。

西方院(不動明王)
▲本堂には不動明王が祀られています。

烏瑟沙摩明王(トイレの仏様)

「烏瑟沙摩明王」は明王堂に祀られているということです。

現在、写真は掲載しておりません。(詳細は同院HPをご参照ください)

  • ご利益は”しもの病(性病など)、安産、婦人病などの平癒ということです。
  • 真言は「オン クロダノウ ウンジャク」です。
笠寺観音を参拝(ご詠歌が流れ心安らぐ寺院)
尾張四観音のひとつで、名古屋市南区にある真言宗(智山派)の寺院です。奈良時代にあたる天平5年(733年)の創建で1300年近い歴史があります。8年に1度の御本尊(十一面観音)ご開帳を拝観しました。

尾張四観音(荒子・甚目寺・龍泉寺・笠寺)

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